やってやれないことはない?


 それは一瞬の出来事だった。
 事務所の扉を開けた瞬間、二つの球体が凄まじい勢いでこちらへ進軍してきたのだ。
 赤と青の二つの玉は見えたり消えたりを繰り返しながら接近してくる。
 みるみる内に近づいてくるそれを見て、やらなければならないことを決めていた。
 そう、今やるべきことは。

「ヴァーミリオンフェニックス! あちょー!」
「ローリングシャイン! どんがらがっしゃーん!」
「こらー! 亜美真美ー! 朝っぱらから廊下で前転して遊ぶなーー!」

 はしゃぎ回る子供をしかってやることだった。

「あ、兄ちゃんだ。おっつー」
「おっつー」

 叱っている声が聞こえていなかったのか、それとも聞いていなかったのか。 
 双子の姉妹はこちらまで転がってくると、何事も無かったように挨拶をした。

「おっつー、じゃない。事務所の廊下は歩くところで転がるところではありません」
「だってやらずにはいられなかったんだもん、ねえ真美」
「やるとなったらはやるっきゃない、だもんね!」

 何があったか知らないけどやけにテンション高いな。 
 床を転がっていたことはともかく良い傾向だと思う。
 ここは叱り付けるように上手く諭してやらないと。

「やるべきことか。それならレッスンルームでやった方が良いと思うぞ、広いし」
「そっか、レッスンルームだったら何でも出来るもんね。さっすがにーちゃん!」
「んっふっふ〜。最高の大技開発頑張っちゃうよ〜」
「オーディションで受けるのは嘲りではない、喝采なのだ!」

 正直なところ不安も半分だったが、レッスンルームには先生が待機している。
 本当に危ないことをし始めたらキチンと対応してくれるだろう。
 台詞口調な言葉から何かに影響されたことが窺えるが、感性豊かなことはいい事だ。
「こうではない」と注意するのではなくて「こっちの方が良い」と促してあげること。
 それが今の亜美と真美に一番必要なはずだ。
 廊下を歩きながらそう結論付け、いつの間にか目の前に来ていた事務室の扉に手を掛けた。

 お、いたいた。
 事務室の中にいなかったのでその姿を探していると、視聴覚室で律子の姿を確認した。
 テレビの画面を真剣に見つめながら何かを書いているようだ。
 ニュース番組でも見て情報収集でもしているのかな。

「律子、おはよう」
「あり得ない、これもあり得ない。
 どんな物理法則が働いたらこんな動きが出来るのかしら……」

 近づいて挨拶をすると、ぶつぶつとつぶやく独り言で返ってきた。
 よほどテレビの内容が気になるらしくこちらにまるで気付く様子が無い。
 どうやらサーカスか何かをテーマにしたアニメらしい。
 派手な衣装に身を包んだ女の子のキャラクター達が、空中ブランコやトランポリンで鳥や蝶のように飛び回り観客を沸かせていた。
 律子はそんな彼女達の動きが気に入らないらしい。
 何か動きがあるごとに計算した上で科学的な見地からことごとくツッコミを浴びせていた。
 でも、口では文句を言いながらも視線は画面に釘付け、しっかり見入っている。
 邪魔するのも悪い気がしたので、エンディングまで一緒に見ていることにした。
 
「うーん。やっぱりありえない、ない、ないでないない尽くしの内容だったわね」
「そんなこと言いながらしっかり最後まで見て、口癖のまねまでしちゃってるところが律子らしいよな」
「い、いたんですかプロデューサー」

 どうやらひと段落ついたらしいので、いい加減今後の打ち合わせをしようと声をかけることにする。
 すると律子は、声を掛けられて振り返ったたかと思うとすぐそっぽを向いてしまった。
 恥かしいところを見られたと思ってバツが悪くなったのだろう。
 こっちを向いてというのもデリカシーが無いので、そのまま話を続けることにする。

「ちゃんと挨拶をして入ってきたけど。
 それより、結構面白い作品だったな」
「まあ、子供向けアニメとしては秀逸だったとは思いますけど」
「言いたいことがストレートに伝わってきたなぁ」
「努力・友情・勝利なんて昔の少年漫画みたいに単純ですけどね」
「それが良いんじゃないか。と思う俺は男だからなのかな」
「女性には努力も友情も勝利もいらないと? それって偏見ですよ」
「おっと、軽率な発言だったな。これからは気をつけるよ」

 それは作品のメッセージに共感しているってことだよね。
 という言葉は口に出る前に押し留める。
 言っても律子は認めようとはしないだろうから。
 まったく、頑固と言うか素直じゃないと言うか。

「まあ、別に気にしてないので良いですけど。
 それより、今日は次の予定を打ち合わせしに来たんじゃないですか?」
「ああ、実はそろそろ次の特別オーディションを受けようと思っていたんだ」
「確かにそろそろ上へ行くために攻勢を仕掛ける時期ですしね」

 先ほど見ていたアニメの影響もあるのか、律子の瞳はやる気の炎で燃え盛っている。
 努力・友情・勝利のテーマは、アイドルにとっても共感するところがあったのかもしれない。
 今度デビュー前の他のアイドル候補生達にも見てもらうよう社長に提案してみよう。

「プロデューサー、ボーっとしてないで本題に入りますよ?」
「ああ、悪い悪い。
 それで、オーディションの傾向や参加予定ユニットを調べたファイルがあるんだけど」
「私が求めているものを事前に用意してくれてるとは、さすがプロデューサー!」
「当然のことをしただけだけだって」

 でも褒められて悪い気はしない。
 ……プロデューサーがアイドルにテンション管理されてどうするんだ。 

「今のユニットイメージを考えると、これかこれね。
 中でも特別ルールが私達向けなのはと……」

 律子によってオーディションや自分たちのデータがまとめられたノートを見ながら検討していく。
 足を使って情報を集めるのがプロデューサーの仕事。
 集めた情報をもとに分析を行って方針を提案を行うのが律子の仕事。
 定まった方針に意見(と文句)を言いながら煮詰めて行くのが全員の仕事。
 そして、最終決定とその責任を取るのがプロデューサーの仕事。
 それが秋月律子・双海亜美(真美)・星井美希のユニット「イヤーズ」の原則になっている。

「というわけで、次の予定は舞道場のオーディションにします。
 何か質問は?」

 そんなわけで律子の提案に対する最終確認。

「それって今日から毎日猛特訓したりしないと勝てないオーディションだったりするかな?」
「今までダンスイメージを上げることに力を入れてきたわ。
 それに今の持ち歌はダンスナンバーのrelationsだから対策は万全。
 よって、普段通りの私達を出すことが出来れば問題なく合格出来るはずよ」
「そうなんだ〜。だったら良かった。
 律子さんとプロデューサーさんに任せとけば無駄に頑張らなくて良いから助かるな」

 デビュー当初からやる気が無さそうな言動は相変わらずだなぁ……。
 日々のレッスンで一番吸収が早いのも美希なのに。
 普段通りが普通の人の2倍や3倍になる才能には全く恐れ入る。
 それに、人を『そこの人』や呼び捨てで呼ばなくなったことからも随分と成長したものだ。

「褒めたって何も出ないわよ。それで、亜美と真美は何か質問ある?」
「次は亜美と真美どっちがでんの?」
「そうねー。ダンスレッスンは亜美の方が頑張ってたけど、
 真美のボーカル力を活かさないのも勿体無いのよね」

 当初は二人仲良く同じレッスンをしていたのだが、最近になって少しずつ二人のレッスンが変わってきた。
 本人達は「折角二人いるんだから色んな『双海亜美』を出せる方がお得っしょー」と言っていたが……
 本音は互いに自分だけの『双海亜美』を出していきたいのだろう。
 二人の個性は尊重するべきだし、実際に有効な手段でもある。
 その結果、俺が承認して二人にはそれぞれ違う特別レッスンを行うようになったというわけだ。
 
「そっか、そんじゃ真美よろー」
「真美が出ちゃっていいの?」
「りっちゃんがボーカルも捨てたくないって言ってるし。
 歌は真美のが上手いから、真美が出たら弱点無しでチョー無敵だよ!」
「じゃあ真美が出るね。亜美への手向けに勝利の花束をプレゼントするよ!」
「真っ赤なバラ希望!」
「サー、イエッサー!」

 お互いの個性を理解することで二人の絆も深まった。
 どっちが出るかで口論になることも無くなったし、本当に良かったと思う。

「……手向けって、亡くなった人に向けて言う言葉だと思うんですけど」
「本人が納得してるならそれで良いじゃないか」

 そう、本人達がやる気を出してくれさえすればそれでいいんだ。

「それじゃあ決まりだね。ミキ、普段より早く事務所に来たから眠いの。あふぅ」
「そんじゃ次のオーディション出ないから亜美は遊んどくねー」
「えー!? 真美も遊びたいー!」
「ここで誘惑に負けてしまっても構わないのかね?」
「誘惑だと分かっていてもやりたいんだもん」
「じゃあ一緒にあそぼっか」
「うん!」
「こらー! これからレッスンしようって予定なのに帰ろうとしない!」

 やっぱり、よくないこともある。
 しかし、まだ至らないところもあることは仕方が無い。
 美希も亜美も真美も律子も、まだこれからなんだから。 

「まあまあ、最近ちょっと張り詰めてたから特別オーディションを前にガス抜きしとこうじゃないか」
「確かにプロデューサーの言うことにも一理ありますね。
 はぁ、私もまだまだ配慮が足りないわね」
「足りないと分かってるなら直していけば良いさ」

 年月も重ねて、少しずつ。
 それが律子達には内緒の「Years」と名づけた本当の意味でもある。
 律子達に説明した、たくさんの人に耳を傾けてもらう歌を届ける「ears」は表向きの意味だ。
 
「そう、ですね。やっていけばやれないことは無くなっていきますよね」
「あ、また言った。やっぱり気に入ってたんだな」
「……私も本読むので邪魔しないでくださいね」

 ここで余計なことを言ってしまう俺もまだまだ、か。
 ひと時の静寂が訪れたミーティングルーム。
 スヤスヤと眠る美希に毛布をかけてやったら、俺も今後の四人のためにゆっくりと考える時間を取るとしよう。


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