小鳥のさえずりは海へと向かう
「ここにも無い。ここにもない。
確かここに置いていったハズなんだけどなぁ」
折角のオフに出社するハメになった憤りからか独り言が止まらない。
もっとも会社に置き忘れた資料を探しに来たのだから、100%俺のミス。
だから文句は言えない、のだけど……。
あれは明日の予定に詳細を付け加えたものだから、どうしても見つける必要があった。
……こんな事になるなら退勤前にしっかりチェックしておくべきだった。
今度からは日々の惰性に頼らず、毎日のチェックを怠らないようにしよう。
決意を新たにしながら机の引き出しを引っ掻き回す。
しかし、結果は机の上が廃品置き場のように散らかっただけだった。
「プロデューサーさんですよね?
今日はオフのハズなのにどうしたのですか」
ひと段落して息を吐いていたところに後ろから声を掛けられる。
振り返ってみると小鳥さんがいて、不思議そうな視線を向けられていた。
「ああ、小鳥さん。こんにちは」
「はい、こんにちは」
挨拶を交わすと元気の出るいつも通りの挨拶が返ってくる。
条件反射とも言える反応だったけど優しさの心が宿っていた。
それは765プロ設立から事務所を影から支え続けてきた小鳥さんだけが為せる業だ。
「で、こんなに散らかして何してるんですか?」
しかし、いつも通りだったのは挨拶だけで、顔では笑顔を浮かべつつも体がふるふる震え始めた。
視線の先には見るも無残な事務机。
どう見ても散らかしたことに対して怒っているようにしか見えなかった。
「散らかしてすいません、実はちょっとマズイことになりまして」
「マズイこと?」
「実は……」
事情を説明して助言と協力を求める。
小鳥さんは真剣に話を聞いてくれたが、表情が思わしくないことから結果がなんとなく分かってしまった。
「というわけなんですが、小鳥さんは何か心当たりありませんか?」
「う〜ん、今朝プロデューサーさんの机を軽く整理しましたけど何もありませんでしたね」
「やっぱりそうですか」
案の定小鳥さんは何も知らないらしく、書類探しは振り出しへと戻ってしまった。
「さて、プロデューサーさん」
「はい、なんでしょう」
話がひと段落したためか、今度は小鳥さんから何か話があるようだ。
というか、両手を腰に当てこちらへ身を乗り出すこの姿勢はお説教の時間?
「仕事に熱中するのは良いですけど、机周りくらいは少し整理して下さいね」
「はい」
「大体、ちゃんと片付けていれば探し物もすぐ見つかったはずですよ?」
「その通りですね……」
「それに、身の回りが片付いていると気持ちだって落ち着くものなんですから」
「確かに汚いとやる気でないですからね。散らかしたついでに整理整頓しておきます」
律子に散々注意されてクセになってしまったのか、自然に話を聞く態勢になってしまっていた。
説教され慣れしている自分がちょっと恥かしい。
でも小鳥さんの言うことはもっともなことだし、折角だから一気に整理することにしよう。
「……それならそれで、別に良いのですけどね」
「何だか引っかかる言い回しですね。他に気に障る事でも言いました?」
「いえいえ、本人がそうしたいなら何も言うことはありませんので」
「だから一体何がいけなかったのか聞いているんですが」
含みのある言い回しが気になって仕方ない。
言いたいことがあるならさっさと言って欲しい。
「それはそうと、私とおしゃべりしてる間に資料探しと整理整頓をした方が良くないですか?」
「そ、それはそうですけど」
「それじゃあ頑張って下さいね。
さーて、休憩時間だけどお仕事の続き頑張るぞー」
お説教ポーズを解いて小鳥さんが仕事が戻っていく。
対してこちらは突然の切り返しによって完全に気勢を削がれる形になってしまった。
きっとこちらが熱くなっていると判断して、話題を逸らしてくれたのだろう。
流石じゅうチョメチョメ歳の大人、俺にはまだまだ程遠い領域だ。
「……プロデューサーさん、何か変なこと考えましたね?」
「え、あ、えーと……」
仕事に戻ろうとした小鳥さんが振り返って声を掛けてくる。
仮面のように貼り付いた笑顔のまま近づいて来られて、思わず怯んでしまって言葉に詰まってしまった。
それに別に失礼なことを考えていたわけでは無いような?
と、とにかく小鳥さんの視線が怖いので話を逸らそう。
「そ、それにしても、小鳥さんも知らないとなると資料は何処にあるんだろうなー」
「話を逸らしたそうな態度がバレバレですよ」
俺には話を逸らすスキルは備わっていないようだった。
「いやいや、本気で資料が無いとマズいんですって」
「……もう、そこまで言いたくないなら別に良いですよーだ」
目を逸らしつつシラを切り続けると、小鳥さんは引き下がってくれた。
でも、大体何を考えていたか分かっただろうな……。
この洞察力も流石にじゅう――。
「……」
「な、なんでも無いですよー」
いや、こっちが分かりやすいだな、うん。
それにしても、冗談抜きにマズイ。
机の中は全部探したし小鳥さんは何も知らない。
いよいよどこにあるのか分からなくなってきたぞ。
「……あ、そういえば!」
小鳥さんが手を合わせ、何かを思い出したような素振りを見せる。
これはもしかしたら有力情報の予感?
とにかくどんな情報でも欲しいので、小鳥さんに期待の眼差しを向けた。
「春香ちゃんが今朝事務所に来てましたよ。もしかしたら何か知っているかも」
「え? 春香が、ですか?」
「はい、765プロの所属アイドルで、丘のマーメイドこと天海春香ちゃんです」
「それは知ってますけど……」
プロデューサーが担当アイドルの名前を忘れるハズがない。
って、丘のマーメイド? 聞いたことの無いキャッチフレーズだな。
春香の持ち歌である「太陽のジェラシー」の歌詞からもじって名付けたのだろうか。
ま、今は置いておくとして。
「けど、春香の地元ってここから2時間も掛かりますよ。
なんでわざわざオフにこっちまで出て来ていたいたんですか?」
春香が仕事以外の用事でわざわざここまで出てくるとは思えない。
今日は学校も休日だったはずだし、こっちへ遊びに来たついでに立ち寄ったのだろうか。
「それがですね……」
小鳥さんが春香から聞いた事情を話し始めた。
ことの顛末はこういうことらしい。
『えと、あの、朝起きたら目覚まし時計が8時で大遅刻だ〜!
と思いながら家を飛び出して来たまでは良かったんですけど電車の中で今日は向かえば良いのか忘れちゃったから事務所で確認しようと思ってそれで事務所に来てから今日がオフだったことに気付いちゃってていうか最初から事務所に電話一本入れれば良かっただけで私ホント何してるんだろ〜……』
「という経緯があったことを春香ちゃんから聞きました」
「聞いた限りではものすごくテンパってますね」
「絶えず身振り手振りをする春香ちゃんはとても可愛かったですよ」
「あはは、何となく想像出来ちゃいます」
慌てふためく春香の様子がありありと連想出来て笑いがこぼれる。
春香は混乱すると周りが見えなくなる所があるからなぁ。
「ステージ上の春香ちゃんからは想像の出来ないエピソードですよね」
「……言われてみれば、そうですね」
「どうかしましたか? プロデューサーさん」
「いえ、別に何でもないです」
最近の春香はプロデュース当初と比べてミスも減り「アイドルらしく」なった。
でも、明るくて元気で、少しおっちょこちょいな「春香らしさ」が出なくなったような気がする。
仕事前はいつも緊張して張り詰めた顔をしているし。
もしかして、ミスを許さない“プロデューサー”のせいで、無理してるだけなんじゃないのか?
「プロデューサーさん、春香ちゃんが仕事では自分を抑えて無理してるんじゃないかって思ってません?」
「……小鳥さんにはバレバレですね」
「あら、今回は簡単に白状しちゃいましたね」
「前回がどの事を言ってるか分かりませんけど、隠す必要の無いことは言った方が良いですから」
にじゅうちょめちょめ歳の件は小鳥さんの機嫌を損ねさせるだけ。
今回のことは今後のプロデュースに関するアドバイスを貰えるチャンス。
黙っておくべきか言うべきかの判断は、状況によって使い分けすることだ大事だ。
「……アイドルのためなら恥をかくことも惜しまない、か」
「何か言いましたか?」
「いえいえ、さすがはプロデューサーさんだなぁと思いまして」
「何だか分からないですけど、一応褒め言葉として受け取っておきます」
「はい、そうしておいて下さい」
無理に聞くほどの事でも無さそうだし、気にしないことにしよう。
「それで、小鳥さんから見て春香は無理してるように見えますか?」
「無理していると言うより、とても辛そうに見えますね」
「や、やっぱりそうですか……」
考える素振りさえ無い即答に、相当なショックを隠し切れなかった。
良かれと思ってやっていたことが逆効果になっていたとは……
「自分でも表面化してないだけで何となく感じてはいたんですけどね。
今の方針は春香には向いてないんじゃないかなって」
「でも、変えられなかったんですね」
「はい、今はダメでも状況は良くなっていく気がして。だって―――」
「『律子の時は成功したから』ですか?」
「!!」
……やっぱり、小鳥さんは大人だ。
事務所にいる事が少ないアイドルとプロデューサーの様子を完全にお見通しとは。
「確かに律子さんとプロデューサーさんはとても上手くいっていましたよね」
「ほとんど律子のおかげだったんですけどね」
一年間のプロデュースによる最終結果:Aランクアイドル。
全くの駆け出しだった新人プロデューサーとしては十分過ぎる結果だった。
それもこれも、営業方法などのマネジメントも一緒に考えてくれた律子の力による所が大きい。
しかしその分だけ、律子には二倍の苦労を強いることになってしまった。
だから、次は出来るだけアイドルの負担を失くすためのプロデュースを心がけることした。
した、はずだった。
「まだ配慮の届いていないところでもあったんでしょうか」
「配慮とかそういう問題では無くてですね……」
小鳥さんははぁ、と一つ溜息をつく。
そこには多少呆れの感情も混ざっていて、対するこちらには焦りの感情が生まれてしまった。
「あの、何かまずいところでもありましたか?」
「そもそも根本から間違ってますっ。
良いですか、プロデューサーさんはもっと―――」
この雰囲気、いけないことをした子供を諭す時の雰囲気に似ているような気がする。
小鳥さんから見れば二年目Pなんてほとんど子供同様なのかもしれない。
そんな経験豊富な小鳥さんからの格言、しかと心に刻まねば。
「春香ちゃんに頼ってあげるべきなんです」
「はい! 分かりまし……た?」
人に頼ることが今やるべきこと?
一体どういう意味なんだ?
「春香ちゃんはこう考えているのだと思います。
トップアイドル秋月律子さんのプロデューサーだった人だから、私なんかが意見しちゃいけないって」
「そんな高圧的な態度を取った覚えは―――」
「無くても春香ちゃんに思わせていたなら一緒です」
「う……」
小鳥さんの言葉が鋭い。
机の整理を注意したときと比べて纏っている雰囲気が違う。
やんちゃをした弟を叱る姉から、重大なミスを犯した後輩を叱る先輩社員に変貌している。
「春香ちゃんはアイドルである前に一人の女の子なんです。
そして、一人の女の子としてプロデューサーさんの力になってあげたいんです」
春香を「トップアイドル」にしてあげたい。
それしか頭に無かったから「天海春香」のことを考えられていなかった。
一人の女の子として、見てあげることが出来てなかった。
「小鳥さん。これからは、少しやり方を変えてみることにしますよ」
「……そうですか。アイドルとプロデューサーは二人三脚ですからね!」
「そうですね! それじゃあ早速春香と連絡を取ってくることにします!」
「あらあら、もういなくなっちゃいました」
「猪突猛進な行動力は相変わらずですね」
「全部見てたんですか? 律子さん」
「この事務所はそんなに広くないですからね」
「うふふ、そうでしたね」
「なんですかその含み笑いは」
「なんでも無いですよー」
「まあ、別に良いですけどね……」
「羨ましいですか?」
「ちょっと、ね。私の時は私主導でしたから」
「ああ、私にも頼れる殿方がいないかなぁ」
「一部始終を見ていた私としての意見では、小鳥さんは完全に頼られる側の人間ですね」
「がーんっ」
アイドルとプロデューサーは二人三脚。
阿吽の呼吸と言えるチームワークが大切。
「春香、俺だけど」
「プ、プロデューサーさんですか!?
えっと、勝手に資料を持ち出しちゃってすいませんでしたっ!!」
「なんだ、やっぱり春香だったのか」
「当然怒ってますよ……ね?」
「別に」
「うあ、とっても素っ気ない反応です。やっぱり怒ってます……」
「ああ、いや。ホントに本当に怒ってないから」
「ホントですかー?」
「ホントホント」
「それなら良いですけど」
この二人はその域までまだまだ程遠い。
「それより―――」
「それより?」
「それを見て納得の行かない場所があったらどんどん言って欲しいな」
「……は、はいっ!」
しかし、無理なら聞けば良い。掛け声を合わせれば良い。
パーフェクトコミュニケーションを積み重ねることで、いつか二人は固い信頼関係で結ばれるはずだから。
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