武月ヶ丘の女神様 第一号


 校舎内の喧騒も収まり、部活動に精を出す学生の声が聞こえ始めた放課後。
 教室に残っていることが珍しい帰宅部生徒が普段通りの珍しくもないメンバーで話し合いを始めていた。

「そろそろ今年の文化祭を概要を決めようと思い、皆の衆に集まってもらったわけであるが」

 その中心で偉そうにしゃべっている生徒の名前は皆川巧。
 教壇の上から机に手を置いて熱弁する様子は先生にでもなったつもりのようだ。
 彼は1年前に転校してきて「この学校を楽しくする」を目標に掲げ、学園初の学園祭を立ち上げた生徒。
 今後は武月学園の歴史を語る上で欠かせない人物となるであろう。
 教室に差し込む西日を受けているからか、後光のようなオーラを纏っているようにも見える。
 史上初を成し遂げた人物なのだから、それなりのカリスマ性を備えているのであろうが……

「巧、いきなり偉そうだけどあんたは何か考えたの?」
「入場時に整理券を配って同じナンバーの人を見つけたらカップルが成立する『運命の赤い数字』っていう」
「却下」

 話の途中で一刀両断される。
 これはカリスマ性が疑われる扱いである。
 どうやら人格は褒められたものではなさそうだ。

「同じ番号を見つけた二人にはゆっくり話せる教室を用意して」
「そして不純異性交遊が発覚して学園祭が無期中止処分になるわけね。ということで却下」
「あ、あんたは学園をラブホテルにするつもりかー!」
「ら、らぶほてりゅ!?」
「……つまんねぇ。それと柚はそういう単語で噛むな」

 今年から正式に学園祭実行委員会副会長となった深咲涼の対応が手馴れていることから、このような言動は日常茶飯事らしい。
 とにかく、今日も学園の平和は守られたのだ。
 面白そうなら何でも言ってみる考え無しの学園祭実行委員長の手から。

「そうだよつまんねぇよ、俺は賛成だぜ。ついでに教室にはビデオカメラを設置して」
「ハルちゃんキーック!」
「ウボァー」
「はいはいお約束お約束」
「神楽ちゃんも私もこの1年で随分染まっちゃったよねぇ」

 楠ハルによるとび蹴りが生腐り坊主の鳩尾に入る様子を、縁側のおばあちゃんのようにぼんやりと見つめるグリとグラ(あだ名)
 これが至上初の学園祭を作り上げたメンバーの日常だと知られたら、下級生はどれだけ幻滅するに違いない。
 かと言って、会議の進行を見せておかなければ下級生へノウハウを伝承できない。
 生徒達のトップを努める綾瀬奈都希は真剣に悩んだ。
 その結果、真面目な話し合いが始まる本会議までは下級生を参加させないことにしたのだった。
 今の光景を見ていると生徒会長として行った自分の決断を本当に誇らしく思った。
 同時に、こんな連中に押し切られた去年の自分がちょっと情けなかった。

「そして、個人的にはガッカリさせたい気持ちもあるのだ」
「そうそう、特に巧が女子生徒から羨望の眼差しを受けるのが耐えられない……って何言わすのよ!」
「心の声が筒抜けだったわよ」
「う……」

 いつの間にか背後に忍び寄っていた涼に、奈都希は心の声を代弁されて大いにうろたえた。
 疎遠だった母親との仲を取り持ってくれた巧に想いを寄せているのだが、それをまだ本人には伝えてはいない。
 親友兼付き人である通称グリグラは勿論のこと、皆川巧本人以外は誰でも気付いている事実であるのだが。
 まあ本人に聞かれていないだろうから別に良いかと奈都希は胸をなでおろす。

「なんだよ奈都希。それならそうと早く言ってくれよ」
「っ!?」

 そこへ、唯一気付いていない癖に張本人である巧に声を掛けられたのだから奈都希の緊張はピークに達した。
 とうとう、いや、やっと気付かれた……!? 
 と、奈都希の心境は期待と不安と焦りがマーブル模様のように混ざり合った。
 心臓のBPMがマラソン完走後以上の数値をたたき出す。
 こんなに早いテンポで演奏なんかしたら絶対トチるだろうなと、巧と二人きりで行った去年の演奏を思い出したらさらに顔が朱くなった。

「生徒会長としてはたかが一委員長に人気が集中するのは悔しいよなぁ、うんうん」

 役員一同一斉絶句。
 奈都希のBPMは上がりすぎて一度完全に停止。朱に染まった顔は一瞬にして冷え切った。
 これが日常だと思えるくらい、巧の朴念仁ぶりは徹底している。
 今回のような発言で何度周りの女子生徒たちが一喜一憂したことだろうか。

「綾瀬さんにプラス1。同率1位だった大澤さんを抜いて単独トップか」

 それを律儀に数えている女子生徒がいた。

「最近私とゆかりが伸び悩んでるわね。このままではお姉さん’sが同級勢力に負けてしまう……
 今日もこれ終わったらゆかりを呼び出して作戦会議ね」

 誰にも聞こえないような声で一人呟きながら、ゆかりとお揃いで買ったスケジュール帳にメモを記す。
 長年ナンバープレースをやってきた名残だろうか、暇かあれば何か書かずにはいられなくなっていたので購入して数ヶ月でメモ欄が埋まっていた。
 そのほとんどが巧と周辺の女性の進展が書かれている事から、涼もまた奈都希と同類なのだろう。

「皆川くん、くだらないことを喋る暇があったら学園祭のこと話した方がいいんじゃないですかぁ?」
「ああ、うん。そうだな」

 副委員長兼書記である涼がメモに夢中なので、同じく副委員長の大澤柚が収拾に努める。
 しかし、その言葉には多分に毒気が含まれていることを巧以外は感じていた。

「はわっ、ゆずっちの暗黒面が久々にこんにちはだよ」
「相変わらずこぇ〜。そして何事も無くスルーの巧は更にすげぇ……」
「ダーリンのはすごいのかすごいダメなのか紙一重だけどね〜」

 巧理論の『積極的』は他の役員から言わせれば『暗黒面』であって、攻撃的なイントネーションへの認識がまるで違う。
 柚が積極的になるのは巧が関わることだけで、他のことにおいては他人を気を遣う性格は変わっていない。
 恋は盲目と言うべきか巧が罪深いと言うべきか。
 どちらにしろ何も分かっていない巧へのハルの本音は、やはり「すごいダメ」の方なのだろう。

「さて、運命の赤い数字は残念ながらあと一歩の所で却下されてしまったわけで」
「あと一歩どころかはじめの一歩も踏ませてないけどね。
 深咲涼選手の秒殺KOです。完膚なきまでに叩きのめしたので再戦も乱入も有り得ません」
「それはもう分かってる、何かあってからじゃ遅いもんな。毎回アドバイスありがとな」
「……ならよろしい」

 冗談混じりにまくしたてる涼の言葉には熱が入っていた。
 何より、文字通り釘を刺すような視線が巧の瞳を捉えて離さなかった。
 それは過去に自分が犯した失敗を繰り返してもらいたく無いからで、巧もその経緯は知っている。
 だから、彼は彼女の忠告をなるべく受け入れることにしている。
 絶対の自信がある時はお互い引かず論戦にもつれ込むが、それも信頼あってこそのものだ。
 何故なら、皆川巧と深咲涼は「人を楽しくする」ことの共通点で結ばれているのだから。
 そして、同じ価値観はお互いに同じ想いを生み出していくのだった―――
 
「たとえ傘を無くしたーとー♪」
「ちょっと待ちなさーい!」
「まだ始まったばかりなのにぃ」
「始まるどころか終わっちゃうわよ!」
「何が終わるの? まあそれは良いとして。
 声が大きいからさすがに店員さんが見てるよ?」
「あ、す、すみません……」

 ふきん片手にいえいえーと返してくれる店員さんの生暖かい笑顔で見つめられると恥ずかしい。
 視線にいたたまれなくなったゆかりは照れ隠しも込めて追加の注文をする。
 気が昂ぶったのを落ち着けるため、甘味の強い蜂蜜がけチュロスとカスタードクリームドーナツを頼むことにした。

「あ、会計先払いでしたよね」
「代金を渡して頂ければレジは私が打っておきますよ」
「それじゃあお言葉に甘えて。
 えっと……はい、220円」

 小銭入れから220円ちょうどを取り出し店員に手渡す。
 1000円札を渡せばこちらの手間は掛からないのだが、相手にお釣りも持って来てもらう手間が増える。
 効率性と他人への配慮を欠かさないゆかりが小銭を用意するのは当然のことであった。
 もっとも、元々几帳面な性格であることも関係しているのであろうが。

「ありがとうございます。
 それとお客様、昔から壁に耳あり障子に目ありと言いますので内緒話をする際は気をつけて下さいね」
「は、はい……」

 それではごゆっくりーと満面の笑みで返してくれたのは、注文のおかげか野次馬根性が満たされたかなのかは考えたくはなかった。

「二の腕、また言われるよ?」
「その時は300だから」
「相変わらずゆかり教育は健在なんだねー」

 話題を逸らしたのは涼の気遣いか、単にからかっているだけか。
 いつまでも引きずられる方が辛いのでどちらにしてもゆかりにとってはありがたいことだった。
 さて、場所は変わってここは武月ヶ丘駅周辺のドーナツ屋。
 守永ゆかりと深咲涼はその店のレジの脇にある階段から二階に上がって、一番奥の2人掛け席に陣取っていた。
 お客さんに迷惑を掛けずゆっくり話が出来るようにと、初めて来店した時にゆかりが発見して以来の指定席だ。
 観葉植物などで視界も遮断されているそれは本来カップルご優待席なのであろうが……
 当時の二人は色恋沙汰より友情が優先されていたらしい。

「そういえば、さっきの店員さん昔はいなかったわよね」
「この店はチェーン店だからね、異動だってあるしバイトの子だって辞めちゃうって」
「そっか……」
「ま、今も同じ場所に残ってただけでも良かったじゃない」

 彼女達はこの店の常連であるが、ここ3年の間は全く通っていなかった。
 理由が二の腕が気になり始めたとかシュークリームにハマったなどならまだ浅いものだが、中々根深い問題だった。
『楽しかった』思い出の場所が『つらい』思い出の場所になってしまえば当然足を遠ざける。
 3年前に二人が掛け間違えたボタンは、大きなほつれを生み出して当人達では外せないほどにまでなってしまっていた。

「そ、そうよね。もし無くなってたらあの時何をしゃべって良いか分からなかったしね」
「涙声で『この後駅前の……あ〜! あの店つぶれてたんだどうしよ〜!!』なんて言われた時にはこっちだって困ってたもの」
「でも、その時は」
「新しい店を見つけてただけよ」
「もちろん二人で街を歩いてね」

 青臭いことを言ったと思ったのか、二人して赤面して同じタイミングで吹き出し笑いをしてしまう。
 すれ違った年月も、今となっては笑い話に出来るほど二人の関係は以前以上に強いものになっていた。
 本当に感謝してもしきれない。
 一向に動き出そうとしない二人に直撃してきた台風男には。

「こちらハニーチュロスとカスタードクリームドーナツになります」
「ありがとうございます。お手数かけてすいません」
「いえいえ。それではごゆっくり」

 気恥ずかしくなって会話に詰まっていたところで渡りに船。
 追加注文を持ってきてくれた店員をありがたく思った。
 今後も贔屓にさせて頂きますと、ゆかりは感謝しながらチュロスに一口かぶり付いた。

「それで、件の台風男は文化祭で何をやらかそうって?」
「何かやらかすの前提なんだ」
「当たり前じゃない」
「だよねー」

 ある程度咀嚼したチュロスを飲み込んだ開口一番。
 自称:武月学園生徒会名誉顧問の守永ゆかりは決まりきったように話を切り出す。
 信頼出来るが信用ならない。
 それが皆川巧に対して周辺人物が持つ総評のようだ。

「えっと、今日の会議の内容はっと……ほら、ここのページだよ」
「うわ、すっごい使い込んでるわね」
「ナンプレで磨いた集中力が活きてますから」

 涼はメモ帳を向かい合った席にいるゆかりに手渡す。
 白いところの方が少ないと思えるほどビッシリと書き込まれたそれはゆかりを大いに圧倒させた。
 何しろお揃いで買った自分のメモ帳はまだ2,3ページほどしか書き込まれていない。
 即断即決で物事を片付けるゆかりのメモ帳は今後のスケジュールなどが書き込まれている程度だ。

「えっと、運命の赤い……」
「それは没ネタ。まだ仮だけど巧がねじ込んできたのはこっちの方ね」
「な、何よこれ……」

 巧が考えてきた企画は前回大澤柚が主役を務めたものと同様、実家の武月神社とのタイアップ企画だった。
 ただし、今回はもっと大掛かりで、胡散臭くて、巧的に言えば「面白そう」なものだった。

 またまた場所は変わって今度は商店街。
 おてんとさんもそろそろ休みにしようかという頃、帰路につく女子生徒二名の姿があった。

「お、柚ちゃんにハルちゃん。今日もおつかれさん」
「お疲れさんでーす!」
「お疲れ様でしゅ、です」

 武月学園は進学校で真面目な校風なので(一部除く)夕暮れに制服姿で街を歩く生徒はほとんどいない。
 それだけに二人の姿は目立つのだが、商店街の住人達の視線は非行少女を見るそれでは無かった。
 二人には涙無しには語れない事情でここにいるためである。

「あちゃー、今日はバイト中かまなかったのにここでやっちゃったかー」
「うぅ、気を抜くと間違っちゃうなぁ……」

 柚がかみグセを直したいと親友のハルに相談を持ちかけたのは奈都希が生徒会選挙に当選した直後のこと。
 学園祭の企画をかまずに乗り切った柚は、今こそかみグセ根治すべしと意気込んでいた。
 そのため直後の生徒会選挙で奈都希の応援スピーチに自ら名乗りをあげ、完全に自信を付けようと考えた。
 スピーチは途中まで上手くいき最後に「綾瀬奈都希をよろしくお願いします」と言いかけたその時。
 なんと「あやせなつきゅい」と声が裏返ってしまったのである。
 一生懸命読んでいたため本人は気付かず生徒達も何も思わなかったが、奈都希の当選後に本人が気付いた。
 柚は今にも泣き出しそうな勢いでハルに、というか文字通り泣きついた。
 得票数が僅差だったので、もしかしたらあの失敗で負けていたかもしれないと。
 ハルは「応援スピーチの結果で投票者の意思が変わることは滅多に無い」と、身も蓋もない励ましを行ったが柚は聞き入れない。
 そして、悩みに悩んでハルの出した決断によって今に至る。
 接客業による矯正トレーニングである。
 どこが涙無しには語れないって? もちろん大澤柚が泣きついてくるシーンのことだ。

「でも昔と比べると全然かまなくなったね。えらいぞ柚っち!」
「そ、そうかな」
「あとは独自のスジから入手した守永ゆかり自筆のラブポエムを朗読出来たら晴れて卒業だよ」
「それはかむかまない無関係に恥ずかしいよ〜!」
「おーその調子その調子。良い声きてるよー」

 商店街にいる人の視線が二人に集中するのもお構い無しに柚は大声をあげる。
 初めからこれが狙いだったのであろう、ハルは満足げに柚に微笑みかけた。

「もう、私だって本気を出したらやられっ放しじゃないんだからね」

 大声を出した反動か出来るか自信が無いのか、独り言のように小さな声でささやかな抵抗を行う。

「はーい、大澤柚先生の次回の仕返しに期待してまーす」
「本当に分かってるのかなぁ」

 分かってるのか流しているのか、本気なのかそうじゃないのか。
 2年の時から親友として接している柚でもハルの態度は掴みきれない。
 むしろ、親友だからこそ上辺に見える人当たりの良さだけが真実じゃないと知っているのかもしれない。
 それは、共通の知人で片思いしているあの人への妄信的な想いさえも。
 だからこそ巧くんも受け入れないのかな。
 そんなことも考えたが、それなら巧がハルのことを心の奥底まで理解していることになる。
 それはハルの親友として巧のことが、巧が好きな一人の女性としてハルのことが妬ましい。
 ……こんなこと考える私って悪い子なんだろうか。
 柚は昔から義務付けられているように、自分が悪いと考える結論に至った。

「あれ。柚っち急に元気無くなったよ? 仕返しとか別に気にしなくて良いから。
 ってあたしが言うことじゃないか」
「……ごめんね。ちょっと変なこと考えてた。
 でも仕返しはその内ちゃんとするから楽しみにしてて」
「うわ、本気だよこの子!?」

 どんなに暗くて冷たいことを考えていても、ハルは何気ない言葉に太陽のような明るさと暖かさを乗せて励ましてくれる。
 やっぱりハルるは自分にとって本当に大事な親友だ。妬ましいなんてとんでもない。

「仕返しの手段は校長先生と奈都希ちゃんのお母さんと深咲さんに相談するとして」
「ちょっと待ってよ何その謀略に長けてそうな人選は!」
「じゃあヤス君にする?」
「それはそれで卑劣でお下劣だからイヤー!」

 暗いことを考えるのはおしまいにしようと、柚は話題転換に努めはじめる。
 なんで仕返しの話題で盛り上がってるのかは会話の流れだから気にしないことにしよう。

「あはは、ところでヤス君と言えば会議が終わったら巧くんとすぐ帰っちゃったけどどうしたんだろう」
「例の企画のために必要な神器を集めて回るとか何とかって言ってたよ」
「もう動いてるんだ。さすが巧くんだけど、神器だなんて大げさ過ぎるような……」
「これは厳粛なる儀式だ! 神器が必要となるのは当然のことだ!」
「あはは、似てる似てる」

 芸達者なハルが真剣な表情で語っていた巧を忠実に再現してみせる。
 儀式やら神器やらを本気で口走る精神年齢は歳相応なのか疑わしいが、形からでも盛り上げていこうと考える巧らしい言動でもある。

「でもさでもさ、神器って何集めるんだろうね? それっぽい道具なんてダーリンの実家にあるじゃん」
「言われてみれば……」
「神社の大掃除でもするつもりなのかな。でもそれだと集めて回るなんて言わないだろうし」

 去年の学園祭で武月ヶ丘の誇りの西村良一氏の結婚式を武月神社主催で挙げられた事から、儀式用の道具は一通り揃っているはずだ。
 今回は結婚式を行うわけではないので全く同じではないだろうが、新たに用意する必要でもあったのだろうか。

「あ、もしかしたら儀式をするための道具じゃなくて成功させるためのものじゃないかな」
「成功させるためって、効果を高めるための道具ってこと?」
「そうそう、そんな感じ」
「それなら集めて回るっていうのも納得だね。街の皆さんに協力を仰いで神器集めをしてるのかも」
「地元の伝承がそのまま神器の一つにもなるもんね」

 どうやら、今年の学園祭で皆川巧がやらかそうとしていることは地元民の信仰心が成功の鍵となるらしい。
 八百万の神々を祀る日本神道はその気になれば物でも神に出来るのだが、皆川巧は何をやろうというのだろうか。

「ん〜。そうなるとあたし一この件についてはあんまり手伝えそうにないかな」
「唯一神信仰、だったっけ。ハルるは真面目だよね」
「いやいやー。破門当然で出て来た手前、一生をかけて懺悔しなきゃと思ってるだけだよー」

 ハルは懺悔と称した日曜礼拝を欠かさない。
 泊まりがけで出かける時も、早朝に起き祈りを捧げていることも含め柚は知っている。
 楠ハルは人前での明るさの反面、宗教家としての慎みを持った敬虔なクリスチャンでもある。
 だが、彼女はそれを捨ててまでこちらに来た。
 それだけ巧のことが好きだったのだろう。
 そう考えることが自然なのだが、それでも柚はどこか引っかかりを感じていた。

「え、今日たくみ……皆川が来てたの?」
「ええ。それと公的な用件で無い場合、呼び方は普段通りで構わないから」
「は、はいっ」

 日もすっかり沈み、間接照明の淡くて温かい光が家中を照らす。
 ここは蛍光灯の安っぽい光が存在しない豪邸。
 そんな家のキッチンで、炊事に勤しむ奈都希の母が帰宅した娘に掛けた最初の言葉だった。
 これが1年前ならどうだっただろう。
 せいぜいただいまとお帰りが交わされるか、奈都希が犯した失敗を一方的に叱咤するだけだったはずだ。
 学園祭の件で本気でぶつかりあい、奈都希に確固たる意思があることを知った夏美は「ダメな子供」扱いすることを止めた。
 長年培ってきた性格は変わりようがないが、奈都希が肩肘を張らず会話出来るよう努力はしているようだ。

「それにしても、呼び鈴では無く直接ドアを叩くなんて皆川巧は相変わらず無作法ですね。
 親しき中にも礼儀ありとしっかりと教育して欲しいものです」
「それは……ごめんなさい」

 さり気なく皆川巧と綾瀬夏美が親しい間柄であることを認める発言だが、それについて奈都希は茶々を入れたりはしない。
 母親が自分の想い人を認めてくれていることが単純に嬉しいからだ。
 そのため出て来た言葉は脊髄反射になっている謝罪の言葉だった。

「これは生徒会長の貴方が謝ることではありません。
 保護者または担任教師の責任です。
 実際、生徒会長はよくやってくれていると思いますよ」
「そうかな。ううん、お母様が言うんだからきっとそう。
 ありがとう、嬉しい」
「奈都希は私と違って素直ね」

 作業が一通り済んだのだろうか、夏美は炊事の手を止めてリビングのソファーへ奈都希を誘導する。
 向かい合うとどうしても威圧してしまうらしい。
 奈都希が恐縮してしまうことに気付いた夏美が、親子らしいコミュニケーションを取ろうと数ヶ月前に出した結論。
 それは、なんと膝枕だった。
 奈都希の頭をこちらへ倒し、頭を撫でながら役職名で遠まわしに褒める。
「ダメな子供」扱いは取り下げたのだが、この接し方は小学生を相手にしているようだ。
 若葉マーク親子には逆にちょうど良いのかもしれないが、少々過保護気味で「子供扱い」そのものである。
 もっとも、奈都希本人がまんざらでも無さそうなので問題はないが。

「それで、巧はどんな用件で家に?」
「武月学園と武月ヶ丘に関する資料が欲しいと言ってきたわね」
「地元の文献で情報収集ですか。あいつも思ったより真っ当な活動をしてるのね」

 資料集めと言えば例の神器探しに関係しているのだろうか。
 帰宅前の巧にハルとしゃべっていた内容に聞き耳を立てていた時の内容から予想する。
 自分の母は地元の名士で学園理事長でもあるので情報収集にはうってつけの相手である。
 眉唾ものの伝説をでっちあげるくらいやりそうだったので警戒はしていたのだが心配はいらないようだ。
 誇張はよくてもさすがに捏造を許すわけにはいかない。

「あれは学校の活動だったの? とてもそうは思えなかったけど」
「え? どういうことですか?」

 しかし、夏美が困ったような表情をしながら言うので奈都希はまた別のことが心配になった。
 巧の評価が下がると将来の自分、巧の彼女になった綾瀬奈都希が彼を紹介しにくい。
 いつ来るか分からない、そもそも来るかどうかも分からない将来だが心配なものは心配なのである。

「やたらと私の学生時代とその時代のこの町を聞いてきたのよ。
 あれは情報収集と言うより事情聴取だったわ」
「今日の議題に関することだとしたら、民間伝承とかもっと古い情報を調べていると思ってたんだけど……」
「そういえば、学校に行く時に学園祭の企画について論議するって言っていたわね。
 良かったら教えてもらえるかしら」
「うん、仮決定したのは神社の共催企画で―――」

 奈都希が膝枕されている状態から起き上がり、武月学園の生徒会長に頭を切り替えて会議の詳細を武月学園理事長に報告する。
 夏美は家の中での公私混同は気にしなくても良いと言っているのだが、真面目で融通が利かない所は母親譲りであるらしい。
 こんな所ばかり似るのだからと少し照れくさくなりながらも、夏美は生徒会長になった娘に対して学園理事長としての対応で話に耳を傾けた。

「なるほど、神降ろしの儀式を可能な限り再現してみることが企画なのですね」
「はい。オカルト的なお遊びではありますが、去年も行われた坂で迷っている神様の道案内企画や西村良一氏の擬似結婚式が好評だったことを受けて挑戦してみようということになりました」
「そうですか」

 実際に成功する可能性はほ無いに等しい。
 だから去年の柚のように誰かが演技をして、「神託」と称して悩み相談をする企画に落ち着くだろう。
 それでも、学園祭の企画としては十分に面白いと思われる。
 それが会議で出た結論だった。

「あの、やはりダメでしょうか……?」

 考え込んでいる夏美の顔色を窺いながら、奈都希が彼女の言葉に身構えている。
 形だけと言っても神を降臨させるなど俗っぽい企画なので、進学校という厳格な校風を守る彼女に受け入れられるか自信はない。
 でも、巧が本当に楽しそうこのことを話すので何とか実現させてあげたい気持ちもあった。
 彼のためなら少しくらい反論しても……
 学園祭断固拒否を貫く母を論破した一年前のことを思い出し、自らを奮い立たせる。

「別に構いませんよ。実際の神降ろしではないと言う旨だけは事前に通達するように」

 しかし、身構えていた彼女に対して帰ってきた返答は思ったよりもあっさりとしたものだった。

「それは勿論ですっ。学生がオカルトにハマるような事態にはならないよう努めますっ。
 でも、意見はそれだけでしょうか……?」
「理事長としての立場で述べるなら、確かに必要の無い企画ではあります。
 ですが、最終的に決めるのは生徒達ですから」
「あ、ありがとうございますっ」

 生徒を強制的に従えるのではなく自主的に行動を起こさせること。
 去年の学園祭以降、夏美はその方針を取ることにした。
 理由は生徒の自主性を育てる方が有意義だからとも言える。
 実際のデータを見ても偏差値最高峰の国立大物理学部に合格した菅原歩を筆頭として、今年度卒業生の進路状況は好ましい結果だった。
 色々な意味で心配な今年度の受験生も模擬試験のデータは好調。
 菅原歩のような例外的な天才こそいないが、学年平均は去年を上回る勢いである。

「時代は個性を求めていますから、それに応えるのも学校の努めです。
 それに、拒絶からは何も生まれないことを知りましたから」
「お母さん……」

 だが、本当のところはあの時に目が醒めたから。
 目の前にいる娘と、その娘が特別な人だと思っているであろう男子同級生によって。

「個人的には彼の企画が本当に成功して欲しいとも思っているけれどね」
「へ? お母さんは巧が何を呼び出すつもりの儀式か分かるの?」

 奈都希は夏美のふと漏らした言葉に疑問の声を返す。
 大人達が見る所はそれっぽい儀式をいかにして荘厳に演出できるか、見せ物として期待していると踏んでいたからだ。
 実際に神を降ろせたとしても、学生達が成功した事実に対して興奮するだけで大人達の反応は薄いと考えている。
 それこそ私達子供が知らないような地元に馴染みの深い神様でもいない限り。

「皆川巧が武月学園の生きる伝説として語られているように、私達の時代にもいたのよ。
 生きていた伝説が、ね」
「え、それってどういう……」

 夏美は昔を懐かしむような、自分の行いに後悔しているような表情を見せる。
 そういえば私ってお母さんの学生時代をよく知らないな。
 奈都希は少し寂しいような気持ちになりながら、今までの親子関係を思い出した。
 今の関係を築くことに必死だったから昔のことなんて話す機会が無かった。
 お父さんが亡くなったこととか悲しいことも多かったし、過去を振り返るより今を大切にしたいのは間違っていないと思うけど。

「ごめんなさい、今はまだ心の準備が出来て無いわ。
 ……話せるかはどうかの鍵は、またあの子が握っているのでしょうね」
「分かった、じゃあ精一杯あいつの成功を支えていくことにする。
 お母さんが昔の話をしやすくなるように」
「期待してるわ。でも、あまりオカルトに傾倒しないでちょうだいね」
「そ、それはもちろん大丈夫! あたしお化けとか怖いから! ってあう……」
「ふふ、奈都希は本当に可愛いわね」

 それでもやっぱり、お母さんがどういう人生を歩んできたのは気になる。
 頭をなでてくれる手に温かな優しさが篭っている今のお母さん。
 なりふり構わない強引な手段で学園祭開催を阻止しようとした1年前のお母さん。
 正反対のお母さんが存在する理由は、きっと学生時代にある。

(巧……今度の台風は何を吹き飛ばすつもりなの?)

「今日の活動である程度の情報は仕入れることが出来た。
 商店街のオッサン達の評判と夏美さんの事細やかな詳細のおかげだな」

 深夜の自室で資料整理に勤しむ男子が一人。
 時折独り言を呟くのは休日前夜のハイテンション故だということにしておこう。

「やはり俺くらい、いや俺以上の伝説の持ち主でありましたか」

 自らの負けを認める発言でありながら彼の声色は上機嫌だ。
 よほどその人物を尊敬しているのだろうか、それとも崇拝の域に達しているのだろうか。

「絶対呼び出してやりますよ、ユミ先輩」

 どうやら本気で崇拝しているようだった。
 自分より前に君臨していた台風1号を。
 さて、台風1号と台風2号が揃うかもしれない今年の学園祭はどうなることやら。
 武月ヶ丘に二つの台風が襲来する時、様々な出来事が動き出す。

「そして、我が青い人生に春を!」
「うるせぇぞ巧! 近所迷惑だ!」

 でもその前に、台風2号は近寄ってくる女の子を吹き飛ばしている事実を認識するべき。
 真っ先に認識するべき。

作品一覧へ戻る
第二号





inserted by FC2 system